タイ語のタイランゲージステーション

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タイホームステイ体験談
 

ホームステイ体験記            K.K      

はじめに 私が1ヶ月のホームスティを終え、日本に戻ってからずいぶん時が過ぎてしまいました。今、私はなぜたった1ヶ月にしてしまったのかと後悔しています。そう、1日も早くまたタイへ行きたくて仕方ありません。どうしてそんなにタイが恋しいのかというと、やはりタイで素敵なご家族と出会って楽しい生活を送ることができたからなのでしょう。

ホームスティ 私は1月に3回目のタイ旅行をしようと決めました。その時期は予定もなかったので、寒い日本を脱出して日本が温かくなるまでタイで過ごすつもりでした。今回は期間も長いから現地のタイ語学校に通ってもっとタイ語を勉強することを第一の目的にしました。そしてタイ語を話す機会を増やすため、さらに今までのタイ旅行では見ることができなかったタイ人の日常生活を知るためにホームスティに申込みました。
 
出発・ついにご家族と対面  1月15日。私はタイ・バンコクに向けて出発しました。到着後、早速現地スタッフのパナスさんと一緒にバンコク市内の東、エカマイ付近にあるホームスティ先に向かいました。有名なスクムビット通りから路地に入るとそこは立派な門のお屋敷が並んでいました。そして、ついに白い大きな厳めしい門の前で車が停まりました。そこがご家族が住む家だったのです。いきなりやって来た私たちを警戒して吠えまくる犬たちにビビりながら家の中に入りました。そこには優しい笑顔のお父さんとおばあちゃんが待っていました。私はすっかり緊張してせっかく練習していたタイ語の挨拶が頭の中から消えてしまい、「サワディカー」くらいしか言えませんでした。(情けない・・)しかし、お二人とも笑顔を絶やさずに私を迎えてくれ、部屋に案内してくれました。私に用意してくれていた部屋はとても広く明るい部屋でした。日本の私の部屋より広いかも!(私は日本では1人暮らしなのです。)こうして私のホームスティ生活が始まったのでした。   

ご家族の紹介 今回、私を迎えてくれたのは中国系タイ人のご家族でした。ご家族はお父さん、お母さん、ジアップ、パァー、パップ(全てニックネームです)の3姉妹とおばあちゃんの6人です。
お父さんとお母さんは獣医さんでお父さんはカセサート大学、お母さんはチュラロンコーン大学で働いています。3姉妹のうち、一番上のジアップはもう社会人ですが、下の2人は高校生です。おばあちゃんは足が悪いので、家で過ごしていることが多いです。あと、住み込みのメイドさんや通いのメイドさん、庭師さんもいました。さらにおばあちゃんの妹さんやお父さんの妹さん、チム(メイドさんの娘)も時々来るのでいつも家はにぎやかでした。そしてなんとこの家には13頭もの犬がいました。夜間の警備担当の大きな犬から部屋を駆け回る小さな犬まで家のあちこちに犬がいました。でもなぜかほとんどがメス犬でした。そういえばお父さんは一度「この家は人間も犬も女ばっかりなんだよ。」と
つぶやいたことがありました。女性パワーに押されてお父さんは少しさみしいのかもしれません。(笑)

     
言葉 私はホームスティを申込む前から1年ほどタイ語を勉強していました。それでも最初の頃はご家族が話すタイ語がほとんど理解できませんでした。ご家族も「本当に1年タイ語を勉強したのだろうか?」ときっと思っていたでしょう。その頃は英語をかなり混ぜて何とか会話をしていました。(英語も苦手だった私は会話にホント苦労しました・・・)しかし、ご家族はそんな私でもいつも優しく声をかけてくれました。また私は学校にも通っており、毎日宿題があったのですが、いつも誰かが私の側について教えてくれました。そうして徐々に周りのタイ語に耳が慣れたようで会話にもタイ語の分量がかなり増えてきました。ホームスティでなければ、こんなに早くタイ語に慣れることはなかったでしょう。ご家族に感謝するとともに、もうちょっと長くここで過ごしていたらもっとタイ語が上達しただろうになぁと思います。言葉を勉強するのに1ヶ月という期間はやっぱり短かかったですね。

日常生活、そして食生活 ホームスティ期間中の私の生活を簡単に書くと、(朝)6時過ぎ頃目が覚める。1階ではもうご家族が出勤・登校の準備で大忙しの様子。私はベッドから起きてシャワーを浴び、身支度をして7時頃下に降りる。ご家族はすでに外出。7時過ぎに朝食。朝食はパンとコーヒーと目玉焼きと果物のパターン。(お粥や揚げパン、肉まんの時もあり)時々、僧侶が托鉢に来るのでおばあちゃんがご飯や果物、お菓子をお供えするのを見学。その後は犬たちと遊びながらおばあちゃんとおしゃべり。10時過ぎ頃、家を出てバスかBTSに乗って学校に向かう。近くの屋台で
軽くご飯を食べたり、おやつを買う。

(昼)学校で3時間1対1の授業。休憩時間もお菓子を食べたりしながら先生とおしゃべり。終了後はMBKに行ってフードセンターでまた軽く何かを食べたり、インターネットコーナーで日本の家族や友人とやり取り、あとは館内を歩き回ってお買い物。

(夜)6時過ぎ頃帰宅。部屋でシャワーを浴びて下に降り、7時頃晩ご飯。 円卓に毎日いろんなおかずが6〜7品のっているので、ご飯を皿によそっておかずをご飯の上にかけて食べる。食後さらにデザートも食べ、そのまま円卓で宿題をして日記を書く。ご家族は横でテレビを見ている。勉強が終わったら一緒にテレビを見る。ニュースやドラマを見て10時過ぎ頃、部屋に戻り11時頃就寝。

だいたいこのように過ごしていました。

 1日の中で私は夕食の時間が一番好きでした。夕食の時間になるとみんな帰ってきていてとてもにぎやかだからです。それぞれ1日の出来事を話していました。私も学校で勉強したことなどを報告していました。またピーレック(メイドさん)の作るご飯はとてもおいしかったです。私はもともとタイ料理好きだったのが高じてタイ語を習い始めたくらいなので、出された料理は何でも食べていました。特にナムプリックは今回初めて食べることができました。ナムプリックは揚げ魚や生か茹でた野菜につける「つけだれ」で各家庭それぞれの味があります。家庭料理なので今までのタイ旅行では口にする機会が全くありませんでした。辛くていろんな味が混じってとてもおいしかったです。そのほか、お菓子や果物でも「初対面」がいっぱいでした。ご家族の方たちは、いつもいろんなタイの食べ物を用意
してくれてました。どうやら私の驚く顔を見るのが楽しみだったようです。そのお陰(?)で元々大柄な私は更に横に大きくなってしまい、華奢なご家族の中でますます目立つ存在になってしまいました・・・

   
最後の日 法事に参加したり、旧正月を迎えたり、アユタヤーやパタヤーに連れて行ってもらったり、MKのタイスキを食べに行ったりといろいろな体験ができたホームスティでしたが、あっという間に終わりの日がやってきました。最後の日はご家族の「日本料理が食べたい」という要望に応えて、「お好み焼き」を作りました。(寿司とか天ぷらと言われたのですが、作ったことが無かったので・・・)作っている間はみんな興味津々の様子でのぞきに来ていました。お父さんもやって来て何枚も写真を撮っていました。出来はあまり良くはなかったけど、ご家族もみんな「おいしい」と言ってくれたし、自分で食べてみてもまぁまぁだったのでこれで良し!ということにしました。   
 私はホームスティが終わってもすぐに日本に戻らずにチェンマイ方面に行くつもりでした。ご家族は「一人旅は危ない」と大変心配してくれていましたが、「バンコクに戻ったらまたうちに来なさい」と荷物を預かってくれ、バスターミナルまで見送ってくれました。10日ほど旅行して
バンコクに戻りましたが、赤く日焼けした私を見たご家族はびっくりしていました。「ずっと心配していたんだよ」と言われてありがたく思う反面、とても申し訳なく思いました。帰国までの数日、以前と同じようにご家族と一緒に過ごしていました。
 そしてついに帰国の日。私はご家族と約束をして、1ヶ月お世話になった家を出ました。約束は「またここに戻ってくること。今度は私の家族を連れてくること。」です。今は1日も早く約束を果たしたいと思っています。

 最後になりましたが、ナヴィパップ家の皆様と紹介していただいた学校のスタッフの皆様、現地スタッフのパナスさん、本当にありがとうございました。これからもこの経験を糧にしてタイ語をもっと勉強して行きたいと思います。 
              

ホームステイ体験記            城野 鈴巳       

初めに 私今タイに居ます。このホームステイ体験記がいつ掲載されるか分かりませんが、これを書いている現在は、私はタイで語学留学をしている真最中なのです。私の体験記は他の方の体験記と少し違うかも知れません。なぜなら当初の予定でした1ヶ月のホームステイ期間が終了した今も、ファミリーには本当の娘の様に面倒を見てもらっており、今は少し離れた所に1人で暮らしているのですが、週末ごとにファミリーの家に泊めてもらっているという状況で、今でも週の半分はホームステイ同様だからです。つまり、私のホームステイ体験は過去の思い出ではなく、現在も進行中と言うわけです。現にこうして体験記を書いている横でお母さんがTVを見ているといった具合なのですから・・・・・・。

出会い 空港で私を迎えに来てくれたお父さんと初めて対面した時のことは今でも忘れる事ができません。大学を休学して1年の留学生活への期待や不安で胸を一杯にして、30kgにもおよぶ大荷物を抱え、空港に降り立った私を出迎えてくれたお父さんはとても優しい笑顔で私を受け入れてくれました。家までの道のりの車の中で、私はあまりの緊張でお父さんの話すタイ語がほとんど理解できず、車を運転するお父さんと、バックミラー越しに目が会う度に、ドギマギしていたのがつい2ヶ月前のことだなんて信じられません。あの時の出会いから2ヶ月、今私がこうして毎日楽しく充実した生活を送れているのは、あの日の出会いが始まりだと思うと、この家族と私を出会わせて下さったポンパン先生と現地スタッフのパナスさんには感謝してもしきれません。

    
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家族でナコーンパトムの方へ遊びに行っ    ソンクラーンの時に、近くの湖に連れて  
 
   た時に、お姉さんの友達の別荘で               行ってもらって、ジェットスキーをした

家族 家族はお父さん、お母さん、私より一つ下の男の子のM(ニックネーム)、そしてお父さんのいとこのアルイの4人です。私が来た時は犬が4匹居ましたが、2匹の小犬は貰われて行ったので、今は2匹です。そして、私は今Mのお姉さんが住んでいたコンドミニアムを貸してもらって生活しているので、お姉さんが家に帰って来て家族は全部で5人になりました。さっきお母さんに「私がお父さんとお母さんの家に来てすごく幸せな生活を送っている事を少しでもたくさんの人に知ってもらう為に、体験記を書くんだよ」と話したら「この家は、お母さんがいつも家に居て、たくさん話が出来るからとってもいいでしょう?」とお母さんが言ったのですが、本当にその通りで、学校で(こちらで今通っている学校)勉強して学んだことの数倍の言葉や文化や習慣、そして生活の仕方をお父さん、お母さんから教えてもらっています。それはあいさつの仕方一つから始まって、生活していくために必要なこと全てです。日本では大学生でも、こちらに居れば、知識、言葉の面で私は幼い子供と同じです。特に言葉の面においては園児同様。そんな私をお父さんとお母さんは正に育ててくれる、といっても過言ではありません。

言葉 家族とのコミュニケーションは全てタイ語です。それは2ヶ月前から変わりません。家族はもちろん英語も話せますが、私の英語が下手すぎることと、やはりタイ語で会話したいという気持ちが強いので、全く英語は使っていません。とは言ってもこちらに来てすぐはお互いの言葉を理解するのに大変時間がかかりました。TLSで5ヶ月間勉強してからこちらに来たので、日常会話の文法についてはそんなに困る事もなかったのですが、私の発音があいまいすぎて(特に末子音)なかなかスムーズに会話することが出来なかったからです。出来なかったと過去形にするには、今の私のタイ語はあまりにも恥ずかしいものですが、いつも途中で面倒くさがらず、私と会話してくれる家族のおかげで、今では日本語よりも先にタイ語が出てくる事や、タイ語で話している夢を見るほどタイ語が身近なものになっています。

ホームステイを希望した理由 タイヘの留学を決めてから一番頭を悩ませたのが住む所です。私は今、ある学校の一年留学コースで勉強しているのですが、学校の入学手続きの日から授業開始まで2週間の時間がありました。その間のソンクラーンがタイでは国中がお正月。国中で新年を祝っている時に、1人っきりで不安な毎日を過ごすことに自信のなかった私はホームステイを希望しました。ですが、こちらに来ると決めた時点で、1人で生活してみたいという気持ちも大きかったので、1ヶ月間のホームステイという期間を希望したのです。実際には今もありとあらゆることでお世話になっており、週末ごとにどこかへ遊びに連れて行ってもらっているので、こんな幸せなことはありません。今までにジェットスキーをさせてもらったり、お父さんとゴルフに行ったり、パタヤやバンセンにご飯を食べに行ったり、ナコンパトムに連れて行ってもらったり、本当に楽しい生活を送っています。これも全て、この家族と出会えたおかげです。

食事、そして日常生活 平日は学校が9:00〜15:00まであるので、ホームステイ中はだいたい7時頃に帰宅して、家族と一緒にごはんを食べるという生活でした。夕食は、外食をしたり、家でメイドさんが作ったごはんを食べたり色々ですが、ほとんど毎日タイ料理です。実は以前にツアーでタイに旅行に来た時に、お腹をこわしてひどい目に遭ったことのある私は、ホームステイ先で出された料理がもし食べられなかたらどうしよう、という大きな不安を抱えていたのですが、そんな心配はどこへやら。タイ人が食べる料理はどれもおいしいっ!!特に「これおいしいよ」と勧められたものは、どれも絶品です。何でも「おいしい!!」と言って食べる私に家族は「おいしくないものは何なの?」と問い掛けることもしばしばです。その度に私は「全部おいしい!!」と答えているのですが、ホームステイが出来たおかげで旅行者では絶対に食べられないような果物、お菓子、そしてごはんをいっぱい教えてもらっています。

       タイ国ホームスイテイ!タイ語学校でタイ語を習う、タイ語を学ぶ。タイ語学校・タイ語通訳・タイ語翻訳・タイ語の本ならタイ・ランゲージ・ステーション/TLS出版社  お母さんの好きなタイ料理屋さんで

最後に
 今は週末ごとに家に帰るといった生活しています。お母さんは、私の住んでいるコンドミニアムに普段から、ちょくちょくTELをくれるので、困った事があったりすると、いつでも頼れる状況にあります。こちらに来てもう2ヶ月になりますが、私にとってはあっという間の2ヶ月で、ホームシックどころか、寂しいと思ったことすら一度もありません。友達の中には日本に帰りたいと言っている人もたくさんいますが、日本に帰りたいと思ったことも一度もありませんし、日本食が食べたいと思うこともほとんどありません。これは、全て素晴らしい家族と出会わせていただいたおかげに他なりません。ただ一つの問題をあげるとすれば、私がこの家族と出会えた事をどれだけ感謝しているのか、ということを私が上手くタイ語で表現できない為に、その一番伝えたいことが家族に伝えられないという事です。帰国まであと10ヶ月ありますが、その間にもっともっと勉強して、少しでも早くこの体験記をタイ語に訳せるようになりたいです。今も隣でお母さんが、この体験記を覗いて「何て書いてあるの?」と聞いています。四苦八苦しながら答えても、だいたいの内容しか伝えられないのがもどかしいです。


最後になりましたが、ホームステイ先をめぐってたくさんのわがままを聞いて下さったポンパン先生、そして、こちらでの生活を様々な面で助けて頂いているパナスさん、本当に素敵な家族を紹介して頂いてありがとうございました。残された10ヶ月の期間を少しでも有意義に過ごせるようにがんばりたいと思います。

 

ホームステイ体験記            池田 八重       

なぜホームステイなのか  学校を卒業し社会にでて働きはじめて約10年。公私ともども充実した生活を送っていたのですが,1年程前から仕事上での人間関係のトラブルですっかり人間不信に陥っていました。そんなとき偶然ダイビングで訪れたプーケットでかつて経験したことがないほど親切にしてもらい、忘れていた人間の優しさに改めて気付いたのでした。
「こんな国に住みたい」帰国後そう決心した私は早速タイ・ランゲージ・ステーションの門をたたき、タイ語の習得に励んでいるのです。タイに行くのは3回目ですが今回「観光旅行」ではなく「ホームステイ」なのは「タイに住むことを」目的としたタイ人のライフスタイルを学ぶため、そしてもちろんタイ語のスキルアップです。4泊5日という短い日程ではありましたが、充実した時間を過ごすことができました。

家族    今回ホストファミリーとして私を受け入れてくださったのはトヨタにご夫婦でお勤めのクリサダー スワンナアットさんでした。子供さんのいない家で奥さんのお母さんとメイドさん2人そして犬3匹と生活しています。お父さんはプーケット支店に単身赴任中で週末だけ飛行機でバンコクに戻ってくるという生活なのでお母さんは少々寂しいようです。

タイ国ホームスイテイ!タイ語学校でタイ語を習う、タイ語を学ぶ。タイ語学校・タイ語通訳・タイ語翻訳・タイ語の本ならタイ・ランゲージ・ステーション/TLS出版社 家  
同じ敷地内に家が2軒あり1軒で生活、もう1軒は空き家でした。空き家の家の方が豪華で大きい家でした。生活している家は1階に食堂、台所、リビングとおばさんの部屋、2階には私のお借りしたゲストルーム(バス・トイレ付き)夫婦の寝室と洗濯部屋、空き部屋とベランダがあります。全体的に天井が高く1部屋の大きさが大きいので広く感じました。どの部屋も窓が大きく、扇風機だけでも風通しがよく快適でした。


言葉    家族の人は日本語が話せませんでした。私はタイ語を勉強してはじめてまだ1ヶ月半くらいなのでタイ語での会話はできません。日常会話は英語でした。英会話も習ったことがない私は高校までの英語力をフル稼動させての会話でした。タイ語で言えるのは「サワッディーカ−」「コートートカー」「コックンマーカー」「マイペンライ」・・・・・そして数字です。数字は覚えて行って本当によかったです。日本で生活していると気付かないけれど数字を使う機会は案外多いものです。英語でもタイ語でも伝えたいという意志があれば何とか通じるものです。お母さんにはタイ語の文章を読んでもらい、それを私が繰り返すという練習を夕食後にしました。お母さんには日本語も教え、お互い勉強になりました。

タイ国ホームスイテイ!タイ語学校でタイ語を習う、タイ語を学ぶ。タイ語学校・タイ語通訳・タイ語翻訳・タイ語の本ならタイ・ランゲージ・ステーション/TLS出版社食べ物
    飲食関係の仕事をしている私にとって今回タイの家族料理を味わうことは目的の1つでした。・朝食 洋食とタイ料理が1日おきでした。洋食といっても調味料(ケチャップ・ソース)はタイ風味なのでほとんどタイ料理でした。私は紅茶はいつもストレートで飲むのですがお母さんはびっくりした顔でミルクとシュガーをたっぷりいれてくれました。タイにはストレートで飲む習慣はないのでしょうか。タイ料理の朝食はいわゆる「中華粥」ですが揚げパンをいれながら食べます。ナンプラーや唐辛子を入れるのでタイ風に仕上がります。
昼食 外出していたので外で食べました。デパートのフードコートでは100バーツのチケットを購入すればお腹いっぱい食べられます。たくさんの料理がならび、どれにしようか目移りしました。使いきれないチケットは最後に返金してくれるのでとても便利です。
夕食 いくつかの料理がテーブルに並びご飯ののった手前の皿に少しづつ取り分けてスプーンとファークでいただくというスタイルです。辛さは自分でたれをかけて調節します。私は辛い方が好きなのでかなり唐辛子をかけました。タイ料理にはタイ米がとてもよく合います。おいしくてついつい食べ過ぎ、帰国後体重を測ったら3kg太ってしまいました。

タイ国ホームスイテイ!タイ語学校でタイ語を習う、タイ語を学ぶ。タイ語学校・タイ語通訳・タイ語翻訳・タイ語の本ならタイ・ランゲージ・ステーション/TLS出版社連れていってもらった所
お寺 家族の通うお寺に連れていってもらいました。偶然にもお寺の高僧の方が山での修業から戻りパーティがあるということで一緒に参加させてもらいました。お母さんはそこで「瞑想」の勉強をしているようで、その仲間の方と一緒に食事し楽しいひとときを過ごしました。
エステ お母さんの行きつけの近所のお店で全身エステを体験。念入りなオイルマッサージの後薬草のようなものを塗り、それをこすり落とした後首から下のサウナに20分入ります。普段あまり汗をかかない私でも大量の汗が吹き出し気分爽快です。
美容院 事前にお母さんに「このくらい切りたい」と伝えておきそれを美容院に電話してくれました。カットはとても上手だし、ブローも2人がかりで丁寧に仕上げてくれ大満足です。これで120バーツなんて信じられません。美容院の2階は顔のエステをしており、これも体験。にきびをつぶすのが少々痛いのですが終わった後はつるつるのお肌になります。
タイマッサージ お母さん行きつけのお店は休みだったので別の店になってしまいましたが2時間たっぷりやってもらいました。終わると体が軽い。
ゴルフ 週末にお父さんが帰ってくるとかならずゴルフの打ちっぱなしに行くそうです。私も連れていってもらいました。しくみはほとんど日本と同じですが駐車場から男の子がゴルフバックを持ってくれたり、ドリンクのオーダを聞いてくれたりとサービスが良かったです。値段は120球で100バーツということです。

日常生活    ウイークデイはお母さんは朝7時過ぎに家を出て午後6時前に帰宅します。その間はメイドさんがすべて家のことをやっていました。お母さんはほとんど料理をしたことがなく、電子レンジの使い方もわからない様子でした。メイドさんがいることで快適に日常生活が送れるので働く女性にとっては大きな助けです。交通渋滞が有名なバンコクですがやはりどこへ行くにも車で行きました。お母さんはBTSに乗ったこともないようです。ほとんど歩くこともなく運動不足になる気がして1人の時はできるだけ歩くようにしていました。近くのマーケットまで自転車で行ったのですがタイの自転車には鍵がついていないのです。日本では考えられないことです。マーケットは早朝から夜遅くまで熱気にあふれています。人々のエネルギーを感じました。

タイ国ホームスイテイ!タイ語学校でタイ語を習う、タイ語を学ぶ。タイ語学校・タイ語通訳・タイ語翻訳・タイ語の本ならタイ・ランゲージ・ステーション/TLS出版社最後に  あっという間に4泊5日のホームステイが終わり帰国する日となりました。もっともっと長く過ごしたい気持ちでいっぱいでした。短い日程なのでこれでタイの生活をすべて知ったわけではありませんが、タイ人は日本人が忘れている「思いやり」「親切」といった感情を常に持っている気がします。私も自分がタイで受けた親切を日本でお返ししていこうと思います。そして少しでも早くタイ語を習得し、タイに住む日が早く来ることを願ってやみません。
今回お世話になりましたポンパン先生、現地で送迎や通訳をしてくださったパナスさん、本当にありがとうございました。

私のバンコクホームステイ

私は夏の1ヶ月間、「タイ語を勉強すること」と「タイの生活・文化を体験する」ために、タイでホームステイしました。
ちょっと恥ずかしいのですが、実は私、飛行機に乗るのも外国に行く事も初めてなのです。だから行くまでは私の心の中、期待と 不安でいっぱいで少し緊張していました。そのせいか、行く前に飛行機が墜落する夢を2回も見ました。
   ●行ったところ ワットプラケーオ、アユタヤ、ローズガーデン、カンチャナブリ、クルンテープ大学
   ●好きなところ タイラップ(JOEY BOYがカッコイイよ!)、チンチョ、バス、トゥクトゥク、古典舞踊、
    マーキーソース、タイ人
   ●好きじゃないところ ドリアン(クサイ!ダメ・・・)、渋滞、辛さ

 
入国審査でちょっと恥をかく     ヤッタ!タイに到着。嬉しい。butなんか臭い・・・と思いました。でも10分くらいでこのにおいに慣れ、これがタイの匂い なんだなぁと思いました。それから、どこに行ったら良いのか分からなかったので、周りの人について行きました。でも、ついて 行った人たちがタイ人だったので、タイ人専用の入国審査のところに並んでしまいました。そして、パスポートを見せたとたん、 「タイパスポート オンリー」と言われて大変恥ずかしかったです。

 
クルンテープ大学に行った     この日はケー(ホスト・ファミリーの同世代の女の子)の通っているクルンテープ大学へ連れていってもらいました。 朝、ズボンとTシャツに着替えたら、ケーから「マイ・チャイ」と言われた。そのためロングスカートとカッターに着替えました。 タイの大学には制服があるのです。黒いスカートに白いカッターシャツで、ボタンには校章みたいなマークが入っています。
それから、バスに乗って2時間くらいでクルンテープ大学に着きました。まず、校門でパスポートを見せてサインをします。入門証?の紙切れをもらってから、ケーのクラスに行きました。日本の大学だったら、潜ろうと思えば勝手に潜れるのに・・・。さすがタイランド。ケーのクラスでは、先生に挨拶をしました。先生から少し質問されました。“いつ来たの”とか“タイはどう”とか、そういう質問は理解できたけれど、分からない質問は笑うことしかできませんでした。授業はEnglishの授業でした。先生が文法や訳など説明してごく普通の授業風景でした。
昼休み、私とケーとケーの友達4人でご飯を食べました。その時、ケーの友達のトムが“I LOVE YOU パーサーイープン”と聞かれたので、私は“愛しているよ”と教えてあげました。私も“I LOVE YOU パーサータイ”と聞くと、“チャン ラック クン”と教えてもらいました。みんなでその言葉を覚えました。
それから、タイの大学に来て思った事があります。私たちと同じ世代のタイの女の子の間では、サンリオが流行っているんだなぁと思いました。必ずといっていいほど女学生は何か一品サンリオ製品を持っているのです。シャープペンやペンケース、手提げ、日本と同じくキティーちゃんも大人気。日本のキャラクターが受け入れられて嬉しいと思う反面、タイの女学生ってカワイイなぁと思いました。

 
バスの中はみんな親切     一人で道を歩いているとき、バスに乗っているとき、買い物をしているとき、タイ人にいっぱい話しかけられたり、親切にしてもらいました。まず、タイ人に分からない事を聞いても無視されたことはなかったし、聞いている内に“日本人?”とか“タイにいつ来たの?”とか“タイは楽しい”とかおしゃべりできるのです。タイ人はとってもFriendlyなのです。
 特にバスの中はみんなやさしい!ケーと二人でバスに乗っているとき、ケーの隣に本を2冊も持った女学生が立っていました。ケーはその子の本を持ってあげました。私は“プアン?”と聞きました。そうしたら、ケーは“チュアイ”と答えました。私は、ケーと女学生のやりとりが自然だったので、てっきり知り合いだと思っていました。それから何日か後、私もタイ人を見習って、立っている人の荷物を持ってあげました。また、私の荷物も持ってもらいました。
 バスの中は特にみな親切です。私は最初の頃、バスでは、目的地をタイ文字で書いた紙を車掌さんに見せてお金を払っていました。すると、車掌さんはいつも目的地に着くと私に教えてくれて、降ろしてくれます。そして私はいつも“コープクン・カー バイバイ”といって降ります。
 バスの中ではよく男の人が席を譲ってくれたり、空席を指さして座らせてくれます。また運転手さんも気さくな人が多くて、“イープン?”と聞かれ会話が始まるのです。どんな会話かというと“ここはラームカムヘン通りだよ”とか“あれがラーム・カムヘン大学”とか教えてくれます。だからか、バスに乗っていると色々勉強になったし、楽しかったです。
 私が家からSoiの入り口まで荷物を持って歩いていると車に乗った金持ちそうなおばさんが“どこまで行くの”と聞いてきたので、“Soiの入り口のバス停まで行きます”と答えたら、そこまで乗せてくれました。私は日本ではそんなことはないので、すごくすごく嬉しかったです。それに毎朝、Soiの中で見るお巡りさん?のようなおじさんに荷物を家まで運んでもらったりした事もありました。
 タイ人って困った人を見たら、すぐに助けてくれる人種なのです。今回、タイに行って一番得たこと、もらったものは「人の心、やししさ」です。人に親切にされるとやっぱり嬉しいし、日本にいてもそうであろうと思いました。今度タイに行ったとき、私もみんなに優しさを返すゾ!


 
JOEY BOYが大好き    私はラップが大嫌いだったのですが、タイに来てラップにはまりました。というよりJOEY BOYサイコー!タイ語ってすっごくラップMUSICに合うんです。私は以前日本のラップを聴いてダッサーと思っていて、ラップは嫌いだったけど、タイ語のラップは違うのです。タイ語のラップはス・テ・キ。いいですねぇ!

 
反省する事2つ    私はタイで反省しないと行けないコトがいっぱいあります。
 まず、最初に反省した事は、ネコをかぶっていたというか、自分を出さないでいたことです。別の言い方をすれば、遠慮していたのとshyだからかもしれません。そのせいでホスト・ファミリーと余りうまくコミュニケーションがとれなかったと思っています。「私はタイ語で会話していたけれど、下手なので通じるのに時間がかかったこと」、それと「家族はみんな忙しいので会う時間もわずかだったこと」かもしれないです。
 2つ目は、お腹をこわしていたときに家族に言わないで我慢していたことです。体調が悪いときは早く家族に言って適切なケアを受けていたら、もっと楽だったのに。今度会うときはもっとタイ語が上手になってホスト・ファミリーといっぱい会話したいです。特にパパにはいっぱい心配してもらって、ゴメンナサイ。
ソンクラーンの思い出

4月13日〜15日。タイの正月「ソンクラーン」。一年で一番メインの行事。これは絶対田舎がいい。チェンマイはあまりにも有名だが別に田舎ならどこでもいい。私の去年のソンクラーンは、ホストファミリーにイサーンへ連れて行ってもらった。そこでは日本人は珍しく、泊めてもらった家の近所中に、「日本人が来た」と噂が流れる程だった。日本人は遊びに来ても設備の揃ったホテルに泊まる。これが日本人のバカなところ。本当のタイなど解るすべはない。
ソンクラーンの間はなんでもありの無礼講。警察官も先生もみんなそろって水の掛け合い。「開けましておめでとう!」。
笑顔と笑顔の楽しい日々。バスの中まで水浸し。家の中でも水の掛け合いl。楽しい、楽しい、すごく楽しい。この3日間、誰一人何をされても怒らない。
こんな楽しい思いが出来たのも、ホームステイのお陰です! 

〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町 2-41-12 岡埜ビル 6F
TEL 03-5287-2034  FAX 03-5287-2035   E-mail : tokyo@tls-group.com
〔火〜木 : 12:00 〜 22:00〕 〔金 : 12:00 〜 20:00〕 〔土・日 : 10:00 〜 18:00〕 〔月 : 休校日〕
◇新宿駅東口8分/新大久保・大久保駅7分/西武新宿駅3分/東新宿駅3分◇
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〒101-0024 東京都千代田区神田和泉町 1-8-10 神田THビル 4F
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◇秋葉原駅から徒歩4分◇
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◇JR大阪駅・地下鉄梅田駅、泉の広場M14出口から徒歩5分◇
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